ベルカント唱法アカデミー東京

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ベルカント歌唱法について

Opera di Tokyoは都内を中心にオペラ、ミュージカル、その他の芸術音楽の上演を行っていく団体です。

ベルカント歌唱法考察

日本における発声の歴史と進化
日本の声楽教育において、50年前の教育と現代の教育とでは、かなりの相違点があります。また、現代においてもいくつかの“流派”のようなものがあり、指導法は様々です。
私が学生だったころは「ともかく喉を広げて」であるとか、「丸みのある声で」、あるいは「息で歌うように」等々、イメージのみの指導が中心でした。
情報の乏しかった当時と比べ、現代では音声学的な観点での具体的な指導が中心となってきました。

また指導者の使う言葉(専門的用語)ひとつとっても当時の教育では曖昧だったようです。
例えば「声区の切り替え」ひとつとっても当時は「低音は胸声(きょうせい)で!」、「高音域は頭声で!」といったようなものしかなく、現在では当たり前のように使われている「パッサッジョ(声の切り替え領域)」、「ジラーレ(声を出すポジションを変える)」、「アクート(鋭い高音)」等の言葉は、イタリアに留学されていた方から初めて聞かされたものでした。

また現在では、日本においてもベルカント発声が細分化され語られるようになってきました。例えばロッシーニ(19世紀前半のイタリアのオペラ作家)時代のベルカントを「古典派ベルカント」と表現したり、ジュセッぺ・ヴェルディ(19世紀後半のイタリアのオペラ作家)辺りからの、所謂ヴェリズモオペラ(新イタリア楽派)をうたう発声を「近代ベルカント」と呼ぶような区別もあります。つまりベルカント歌唱法の中にも様々な発声に対する概念が持たれています。

 

ベルカント発声とドイツ発声
この二つの発声は現在でも“似て非なるもの“と云われています。確かに呼吸法、声帯の使い方などでの違いがあるのは事実です。日本の音楽大学ではイタリアの音楽もドイツの音楽も両方勉強するので、ある意味二つの発声が混在しているわけです。イタリア人、あるいはイタリア発声主流の先生は、ドイツ式発声を否定する人も多く、またその逆もあります。例えばドイツ歌曲の大家ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウの発声そのものすら否定する考え方を持つ方々も少なくありません。しかし、この相違はイタリア音楽とドイツ音楽の歴史の違いからくる様式の相違、あるいは言語そのものからくる相違と私は考えています。ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウの歌うシューベルト歌曲の素晴らしい演奏はイタリア主流の発声では到底出来ませんし、逆にディースカウの歌うイタリアオペラアリアに違和感があるのも事実であると思うのです。
私の考えでは、そもそも“ベルカントそのもの”の意味を考えると、それは「美しく歌うこと(Bel Canto)」であるわけですから、どちらも否定されるものではなく、どちらの発声も正しいものだということになります。

二人のマエストロ
私は運の良いことに、二人の偉大な声楽家と出会うことが出来、超一流の真のベルカントを身近で聴く機会がありました。
一人は、1961年のイタリア歌劇団公演「道化師」で、黄金のトランペットの異名でも知られるマリオ・デル・モナコを相手に圧倒的な歌唱を披露したバリトン歌手のアルド・プロッティ氏です。

プロッティ氏を日本に招き、オペラ公演を主催していた方が日本人のキャストの一人として私に声を掛けてくれたのがきっかけでした。しかも演目はプロッティお得意のレオンカバッロ作の「道化師」のペッぺ役とプッチーニ作「外とう」のティンカ役でした。身近で聴くプロッティ氏の歌声は、人間はこんな声が出せるのか!と思わせる程の素晴らしい歌声で、ただただ圧倒されるだけでした。そしてさらにラッキーなことにプロッティ氏のレッスンまで受けることが出来たのです。これが私の人生で初めてイタリア人にレッスンを受ける、しかも先生がプロッティということで、大変緊張してしまい、いざレッスンを受けたところ思うように声を出すことが出来ませんでしたが、実りは多かったと思います。プロッティ氏が特に強調していたことは、声のポジションをいつも顔面(マスケラ)で捉えること、それを何度もやらされました。また、音楽的にもあまりセンチメンタルに歌うことを嫌い、悲しい内容の歌でも伸び伸びと歌い上げろと云うのです。また、大変記憶に残っている想い出としてユニークなものがあります。レッスンの休憩時間に私が煙草を吸っていたら、プロッティが飛んできて私の頭を羽交い絞めにし、拳骨で頭をポカッと叩かれたことがあります。そして彼は「おまえは大変いい声をしているのに、そんなものを吸っていると歳をとる前に声が出なくなってしまうぞ!」と言って、テノールのアリアの一節をわざと“よれた声”で歌ってみせてくれました。そんな迫力満点の先生ですが、レッスンが終わり、一緒に食事をしたときなどは、レッスンの時の真剣な表情とガラッと変わって、すっかり明るい“陽気なイタリア人”といった感じでした。

もう一人の偉大な歌手は、ジュセッぺ・ディ・ステーファノ氏です。ある日、私に知り合いのマネージメント会社社長から電話がかかってきて、「今度ディ・ステーファノが来日してコンサートを開くのだが、前座で出演しないか」という内容でした。ディ・ステーファノ氏は私が若いころから大好きな歌手で、私が歌の道を志すきっかけを作ってくれた方の一人でしたから、即答で「お願いします!」と答えました。ディ・ステーファノは、マリア・カラスの相手役として一世を風靡した名テノールで、後の三大テナーのドミンゴやホセ・カレーラスの憧れでもあった偉大なマエストロです。しかし、この来日時にディ・ステーファノは、相当な年齢に達していましたので、体力的に一人でリサイタルを開催するのは難しく、そこで何人かの日本人歌手でコンサートの前半を埋めようという事だったわけです。

さて、喜んでコンサートを引き受けた私でしたが、実は私自身、この時期に自身の発声に失調(スポーツでいうイップスのように)をきたしていたころであり、高い声が全く出なくなり悩んでいたころでした。しかし、オペラのアリアをコンサートで歌わなくてはなりません。そこで私は、キーをテノールからバリトンに下げ、バリトンのアリアを歌いました。コンサート当日、雑談の中で私がディ・ステーファノに「私はテノールだが、発声のバランスが崩れ、今日はバリトンをうたいます・・・」と渋々語ると、ディ・ステーファノはニコニコしながら「そんなことはよくあることで、まったく気にしなくていいよ! もしかしたら、その次はバスになるかもしれない。そうしたら何でも歌えていいじゃないか!」と私を励ましてくれました。非常に楽天的な考えの人で、私は彼から歌手の心理的なものの考え方を学びました。さて、コンサート当日のディ・ステーファノの声は、さすがに年齢的な事もあり、以前のものとは違っていましたが、その天才的な歌いまわしは昔のままでした。この先生の発声はベルカントの中でも大変ユニークで所謂「アぺルト(開き気味のまま、チェンジ無しで高音に達する)」で独特な方法であり、そのことについてはパヴァロッティ氏と口論になったり、批判も多かったようですが、だからこそ官能的な歌だったのかもしれません。

まとめ
だいぶ長い文章となってしまいましたが、クラシックの発声も多様で、ベルカント発声も細分化され、指導者により様々な考え方、声に対する肯定や否定が飛び交っています。しかし私は、そもそも歌(声)の是非というものは、“指導者や一部の評論家が決めるもの”ではなく、その歌を聴く“聴衆が価値をきめるもの”と考えています。前記に紹介した世紀の名歌手達も決して同じメソッドで歌っているわけではなく、しかしそれぞれが確立されているわけです。つまり発声法というものは、歌う人自身のレパートリーであったり、発声に対する哲学的な考えで決定されるものと考えています。そして、それを聴いた聴衆が感動すれば、それらは“全てベルカントである“と思うのであります。